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運気

「今、貴方が転居をお考えになられている方角はよろしくありません。

万一、どうしても引っ越したいなら、一旦東へ向かいそこから西へ。
そこで半年待った後、その場から東南方向が大吉」・・!?
 

このような事を聞くと、いったいどっちにいいのか、迷路にはまってしまいそうです。

 

引越し日に、大安を選ぼうと、気にしない人と、
各自において気持安らぐ選択でいいのです。
選択に吉凶はないのです。
吉凶があるとすれば、それは人心そのもの。

 

「貴方の運勢は現在大殺界につき、この間は決して起業するなかれ。」
はたまた
「現在付き合っている相手はよろしくない、必ず不幸になります。」
来年出会う人、この人こそが生涯の伴侶になるから楽しみにしておきなさい。」
等々、占い大流行です。
男女の関係においても、表面に囚われず、人生の伴侶としての誠実なる相手を、自らよく見極めることです。

 

まあしかし、見極めながらもずるずると引っ張られ悔いを残す女性もいます。
私の妻です。爆 爆

 

誰々がこう言ったから別れる。
ああ言われたからあの人と付き合う。
不幸ですね~
人間、人生経験に乏しく未熟な内は、時として周囲に翻弄されることもあるかもしません。
肉親、知人、他人の意見を真摯に聞く耳は持ちながらも、しかし、人生という道程における要所においいては、自らしっかりとした判断力を養っていかなければなりません。

 

様々な占いの類は、ひとつの生きる知恵として捉え、決してそれ自体に振り回されないことです。
あまり振り回されると、自己所在を失くし、人生そのものを、他力的迷路のなかで彷徨いさせ続けることになるのです。
個人の心を抜け落ちさせないことです。

 

宗教もまたしかり。

 

吉凶判断に任せた人の全てが、人生の幸運を一様に容易く手に入れることができるなら、こんなに楽なことはありません。

 

いくら立派な神棚を祀り、あるいは高名な占いの加護を受けたとしても、そこに自己確立された心が不在ではまさに本末転倒。

 

ひとつの周期というものを語れるとしても、私の考えでは、運気や縁というものは、常に漂っているということになるのです。
いつその機会がやってくる。いつどのような周期によるものだ、等といったことを一々気にしていたら、真のチャンスを逃してしまいます。

 

運気衰退期等と言われる時期にも、好機、良縁というものは常に息吹いていて、何時如何なる時も、自らが歩む誠実なる人生上に、様々な縁や機会というものは生まれるのです。
もちろん殺界の間においても訪れます。

 

一年待たなければならない、二年待たなければならない・・
人生の最大の運気は三年前にあったのに・・
それら云々に心思い巡らせる前に、今現在を変わらず真摯に生きることです。
人生路に分断や中断はないのですから。
時に凹むことあれば、しばし休息し、再び歩き出せばいいのです。
何度でもやり直しできるのが人生いいところ。
但し、方向は前進です。
例えスイスイ行かなくとも、投げやりになることなく自分を捨てることなく、誠実な前を目指すのです。
自分の心を自ら応援してやることです。

 

一切の占いや宗教そのものを超える大切な心の部分に、天が惑わされることは決してないのです。
あくまで人生を亘る主は、誰でもなく、自分なのです。
真の幸運は心に宿る。
であれば、不条理、不公平なんてありえないことになり、これこそが真なり。

 

心を尽くして流れに任せる。
尽くす心に相応しき風が舞うのです。