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タペストリー

 走者一掃、勝ち越しの満塁打席に立つ・・

人はそれぞれに、人生において、似た場面が何度か訪れます。
いわゆる好機(チャンス)、転換期っていうやつです。
 

その時、上手くチャンスを掴む人活かす人、波に乗る人乗れない人、あるいはせっかくの好機にも気付かずにいる人。

 

野球においてもその他競技においても、皆がフィールドに立つことができるわけではありません。

 

野球選手には、ホームランバッターもいれば、確実にヒットを打つタイプ、あるいは、守備力に秀でた選手もいるわけですが、グランドでプレーできるのは、チャンスを与えられチャンスをものにしてきた9人。

 

しかし人生になぞらえて言うならば、
例えベンチに長く居続けるような状況にあっても、二軍にいようとも、決して腐ることなく何時だってグラウンドの自分を思い描きながら、声を掛けられればすぐさま対応できるように、日々の精進、努力のスタンバイをしておく姿勢が大切なのです。

 

素振り(努力)は何時だって出来るのです。
そして、チャンスというものは、間違いなく弛まぬ、その様な姿勢の延長線上に待ち受けるのです。

 

派手なホームラン人生も良いし、コツコツヒットを放ち、堅く塁を進める人生もまた良し。

 

選手になれなくとも、グランドキーパーや愛嬌を振りまくマスコットのぬいぐるみの中も、それはそれで、生きる姿勢においては大いに価値を持ち、やはりその姿勢の延長線上に、家族であったり、友であったり、その人に相応しき人生上のチャンスに巡り会うことができるのです。
幸運とは、人それぞれに捉え方が違うものです。
大きいものしか価値を見出さない人、小さき中にも真の価値や有難さを思う人。

 

何が人生における幸運だったのか、
それは、その人が歩んできた道程を振り返り観ていくと、
個々人における日々の生き方そのものによって形作られているのが分かります。
彩織られる人生は二つとないものとして存在し、真摯に歩む人生は、ほんに美しく織られていくのです。

 

広げたタペストリーの所々の色模様は、その人ならではの、その人が知る、好機や転機、困難や出会いそのもの。

 

人生は、自らの意思によって如何様にも織り上げられるもの。