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最大満足

人間は誰しも自己が可愛いに違いなく、先ずは本能的に自己の欲求を充たすのに意思が働くものです。

しかし自己欲求を求め、充たし続けたとしても、それは、どこかに虚無感がまとわり続けることになり、結局真の満足感を得られることはありません。

例えば、家庭でも仕事上でも、料理人は相手の満足する姿を良しとして、そこには、自己満足を超えた意思と労力が注がれるわけです。
概して、料理をする人は、思いやり、優しさを持っているに違いないということになるのです。
手間隙掛ける意思と労力は、その先に、自己の満足とともに、家族や他人(ひと)の喜ぶ姿を見るからなのだと思われるのです。
そして、その時にはじめて最良なる自己欲求も充たされる。

 

自己満足だけの欲求を充たすのであれば、真の満足感を得られることはありません。物質的満足においては尚更のこと。

 

仕事を介して誰かの役に立ち、他人(ひと)の喜ぶ姿に我の存在意義を見出すことによって自己の心も大いに充たされる。
また、様々な逆境下に、一人で乗り越えるには孤独であっても、愛する家族の為には、再びひと頑張りもふた頑張りもできるもの。

 

やはり人は、他人(ひと)の為に事をなし、ひとに生かされ必要とされ、ひとの喜ぶ姿をもってはじめて、我の最大(最高)満足を得られるに違いないのです。