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スコールに遭うように

 
 ふと、過ぎた日における人や情景を頭に思い浮かべることがあります。
肉親であったり友であったり、自らが生きてきた過程で縁あった人、そして出来事など。

思い浮かべて、懐かしみながら、時に反省、感謝しながら・・・時に自然に涙溢れてきて・・
一瞬様々に想いがよぎる時、まるで青空の下、洗い干された白いシャツが風に揺れているような、すっと潮が引く様に心洗われ軽くなり、見失っていた我を取り戻して、爽やかな気持ちになることはありませんか?

その様な時は、きっと人としての基幹部分が我に還っているのだと思うのです。

人は日常において、多くのしがらみと、怒り妬み驕り等を自分でも気が付かぬ内にまとわり付かせながら、いつしか重い鎧を着けていきます。

そして、あるとき強く反省したり、感動したり、感涙したり、
ふとしたときに、あれこれ走馬灯の様に思い起こされるとき、まるでスコールにでもあったように、一瞬にして心の余分を洗い流された自分に還ることがあります。

私は、その様な時こそ、おそらく人が本来持ちながら目指すところの「真理」というものに、少しでも触れた時ではないかと思うのです。

そしてその様な心持になった時、
決して滝に打たれることもなく、四国八十八箇所を歩くこともなく、経を唱えることもなく、足痺れさせ座禅を組むこともなく、瞑想することもなく、占いにも風水にも、神に頼むこともなくして、誰でもが、真理に最も近づいている状態である気がするのです。

真理というもは、あらゆる宗教をも含め、全てを包括して排他性を持たず、実にしなやかで単純なものとして、心澄ませば誰にも見つかるもの。
私的にはそう考えます。