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エンディングノート(part3)

今も私における家族の在り方の理想は、三世代が住処を共にできる大家族の姿です。

その昔、私が子供の頃にはあちこちにこの光景は極普通に存在していたように思います。
同じ屋根の下、おじいちゃんおばあちゃんの知恵や愛情に触れながら育つ良さは大いにあろうというものです。
家族を大切にしていく心の受け継ぎ方。世は変わり、完全核家族の時代にあって私の理想型は、地方の、家族が生活基盤を一にした部分的なものが残すだけになっているようです。

少子高齢、老老介護。収入等の生活面における不安。
それぞれの事情が受ける負担も大きくなっています。

その負担を一人で受けながら懸命に親の 面倒をみている姿もあちこちにあります。
狭い部屋で四六時中親の介護で身も心もへとへとになり、時に実の親でもその存在を煩わしく思うこともあるでしょう。

そのような思いが心の片隅に持ち上がる時、
「私はなんと優しさのない人間なのだろう」と自分を責め、思い悩む人がいるかもしれません。

しかし、それが人間。
頑張っている自分をそんなに責めることもない。
どんなに心ある人であっても、完璧に善人であることはできない。
事情が許すなら、専門的な他人に世話を委ねて時折見舞う方が、本来の親思う優しき心で接し続けることもできるでしょう。

又、世話をされる方も、例えば子に、「しも」の世話までさせなければならないことに心傷つき思い悩むのかもしれません。

委ねれば、他人も一時の仕事として大いに心をもって他人の世話ができる。
身内も自分を失うことなく精一杯の愛情を親に注ぐことができる。

いずれにしても、この思い悩む感情こそが、人間が持ち合わせる優しき心というものなのです。