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心の財産

幼児から成年となる迄の若い時にこそ、沢山の、心ときめく感動に出逢って欲しいのです。

自然に触れ、草花を美しいと思い、巡る季節に愛おしさをもち、
動物と戯れ、友達と遊びに熱中する。
楽器や音楽の綺麗な音色や調べに耳を傾け、良質の映画やドラマを観て涙する。
恋をし失恋をし、書に親しみ、字とその行間を読み取る。
読み綴りながら、いつしか浮かび上がる情景。
想像力は戦争の怖さや、人間の喜びや悲しも、我がことの様に感じ取れる。

やはり、幼子の時から、仮想世界のゲームに夢中し、自己を中心とした、 過度の競争に生きるべきではないと思っています。

ゆったりした世界に心を遊ばせれば、情操が育まれます。
成年迄に得たその情操部分は、やがて心の養分となって、後の人生を生きる支えとなり得るのです。
同時に、社会生活における自他共栄というものに有効作用するかもしれないのです。

心の養分は、コブに水分を蓄えたラクダが砂漠を行くように、紆余曲折、時に人生砂漠の真っ只中においても、疲れた我の退避場所、休息場所となって支えてくれることでしょう。

例えば人間関係に思い悩む事があったとして、それ迄に出逢った感動や美しき人の心は、決して小説や映画の中のことでなく、事実として、我の心を折れる手前で踏み止ませてくれるでしょう。

大切な時期に得た心の養分は、優しき心をもって相応しき人の縁をもたらします。
魂の引き合いというやつです。
その人の周りを観れば、その人となりが判る。

人生は善に寄り添ったものとなり、物質的より遥かに意味ある価値位置で、真の幸福に出逢うチャンスをもつことになります。

やがて年老いて、外見は枯れていったとして、瑞々しさを蓄えた内面が朽ち果てることはありません。
何時だって、思い出と共に心の懐から取り出せるのです。

翻って、乏しい感動で育った心を後で取り戻す事は至難です。
若い時に書を読み言葉に親しめば、その後も、難なく文面や言葉をすっと理解でき、親しむことのなかった言葉を直ぐに思い浮かべることができないように。

自己利に向いて合理的で無機質な感情は、さして心豊かな思い出もなく、年老いて枯れた外見と共に、感動の蓄えを持たない内面も枯れ果て、何とも寂し限りなのです。

永遠の瑞々しさを持つか、
それとも、競い合いと自己利を急ぎ、かけがえのない人生路に必要な養分を孕んだ感動を忘れて行くのか。

年老いても瑞々しく若い感性に生きる人と、若くしても既に殺伐として無機質で抑揚なく、多くの感動も思い出も持たない人。

やはり、人生においては心の財産を創っていかなければなりません。

今も、話して愉しく、飲んで有意義、人生経験豊富、間合いをもって心豊かにさせてくれる付き合い人は、やはり、此の感動を多く持っている人なのです。