ブログ

人生列車

終着駅は遥か彼方。

出発した列車は、幾駅通って町と人は流れていっても、終着駅はまだ先の先。
 

けれども、やがて降車は、駅を数えるほどに輪郭を見せてくる。
日々を生きることは、その終着駅を目指すこと。

 

人生列車において、どれ程の人と乗り合わせたのか。
疾風の如く走り抜ける快適な新幹線の様な人生だったのか、それとも、
揺られながら、時に傾斜を喘ぎながら煙を吐き、遅々として進まぬ各駅停車の蒸気機関車の様だったのか。

 

いずれも、乗った列車内において眠った人生であってはならず、窓外を流れる風景を見やり、乗り合わせた向かい席の人と交わりながらの、味わい深いものにするべきだろう。

 

鈍行列車は鈍行列車で、窓を開ければ頬を打つ風の心地よさも、流れる風景も近くに捉えることができる。
座席に膝をついて窓に乗り出し外を見やる子供の傍で、優しく耳元に何か話しかける母親。
隣町へ行商に行くのか、大きな風呂敷荷物を背負い、腰を曲げながら乗り込む歳老いた婦人。
屈託無く笑い声をあげ話している学生達。
どの様子もが、それぞれの人生を生きている。

 

人生はあっという間に過ぎていく。
どのような列車に乗ることになろうと、記憶に留まる人生にしなければならない。
それら光景を愛でる余裕を持たなければならない。

 

出発した端から、窓外を流れる風景を感じ取ることもなく、合い席の人と交わることもなく、車内で本を広げ勉強の自己集中に終始して、人生の何を語れると言えるだろう。
ましてや、他人の心を解る真の責任者になれるはずもない。

 

足ることを知らない個人主義、甘えの構造は、真の幸せを遠ざけ、
一所懸命、誠実な生き方に、天は、その人に相応しい贈り物をしてくれるだろう。
数々の人生模様を乗せて走る列車から降りる時、後にする人達に笑顔で手を振り、見送り見送られの「グッド・バイ」。

 

物より想い出の人生。
愛しきハロー・グッバイの人生。

 

そして道は、またそこから始まる。