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隣の芝生は青い?

「隣の芝生は青い」なんて言いますが、自分と比較して他人を見れば、皆周りはうまくいって自分だけが取り残されて不幸に思ったりするものです。

元来明るい性質で脳天気な私は、何の苦労もないように思われるかもしれませんが、いえいえこれまでの人生しこたま経験させてもらいました。
実に長い忍耐、辛抱のなかを生きてきました。
なるつもりもなかった経営者となってからも、まあいろいろありました。
大変は続行中。
 

泣きたくなることも、リング上で仰向けにギブアップのボクサー状態の時も多々ありました。
全てを放棄して逃げたくなっても、結局自分で立ち上がるしかないのです。

 

長い低空飛行や乱気流の中を行く末にやっと少しばかり安定したかのような具合です。
皆さんの方が余程羨ましい生活かもしれません。

 

定年がある人間からは、「いつまでも働けていいね」なんて言われますが、経営者に退職金はなく、月末になれば社員の給料や多々経費支払いと維持に責任をもたなければならず、リスクを背負うことになります。

 

そこそこの会社に勤め防護壁に守られ生きながら、世の流れの変化によってある日突然取り払われた防護壁にオロオロする人達も多々みてきました。

 

山谷を自力で歩いてきた私は、今だになんとか世の流れについていけています。

 

どん底の時にも周りからは
「nextさん儲かってそうやね」そう言われ
「そんなことないよ、青息吐息」と事実を答えても
「またまた」(^^)

 

誤解もある意味勲章で、心で泣きながらも明るさが優って運に支えられてきたという感じでしょうか。

 

少なくとも、自立なくして他人の援助も幸運も舞い降りないということ。

 

いわゆる出身校や学校での学力とい範疇では、日々関わる人達の方が私より全てといってよいほどに上でしょう。
なにせ算数数学は5段階の2でしたから。トホホ。
でも、人生ってそんな狭いところでは決して推し量れるものではありません。

 

例えば美人や資産家の子息や高学歴の人間が幸せを掴むかといえばそうでもなく、飛び切りの美人でもない女性が気立てによって、またそれに見合った優しい男と所帯を持ち親思いの子にも恵まれ質素なれど平和な家庭を築く場合も多々あることです。

 

要は真の幸せの視点をいかに観てその人生価値をどう理解できるか。
幸せというものは、案外近くに転がっていて人はそれを気づかないでいる。

 

金に困らない家庭に生まれながら病弱な人もいます。
貧乏な家庭に育ちながら、病気に縁のない丈夫な身体を持った人もいます。
いずれも親に感謝なのです。

 

めげず放棄せず明るく前を向き一歩踏み出す勇気。
自立する姿あってはじめて有形無形の援助があるものです。