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人生余韻

人との交わりにおいてなんとなく魅力を持つ人というのは、本人の心姿勢というものに、醸し出される「凛」とした存在を窺うことができることでしょうか。

さりげない中にも、芯(心)棒がしゃきっとしている。
それは、決して切れ者が大上段に構えた太刀の様でもなく、そっとさりげなくして抜刀することのない、本人の人生(精神)支柱的存在としての懐刀とも見えます。
それこそが、人としての間合い、そして奥行き感というべき魅力。
 

人生年輪の奥ゆかしさを湛え、想念は善に添い、決して利己主義に走ることなく、律儀さと謙虚さに対峙する心は共鳴し、静かなる人としての信頼の安堵を生む。

 

かけがえのない、僅か七、八十年の人生。
せっかく乗り合わせる人生の片道列車を、できるなら互いに、心豊かに触れ合える人とその車両を共にしたいものです。

 

やがて、降り立つそれぞれの人生到着駅。
ホームで互いに手を振り見送り見送られながらも、再び走り出す列車の後方に、人生余韻はきっと清清しさを残すことでしょう。