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大切なのは人の存在

人が生きていく上では、生活基盤を支える金銭的等物質的部分が必要なのは勿論のことではあるけれど、やはり、何より大切なのは肉親、他人、人との関わりです。

人間は独りでは生きていけません。
いかに強靭な肉体と、強い精神を持った人間であっても、対人関係を遮断された中で独り生きていくのは困難です。
人間関係にいろいろあったとして、社会という枠の中では、対人関係によって個人も成り立つのです。
家族ということにおいては、世に一人で生きている人は多いけれど、これらの人が、何もかもの全てに孤独感を持って生きているとは限りません。

 

戦争終結を知らずフィリピンルバング島の密林に部下と生きながらえ、最後には一人となって29年目に帰還を果たした日本国軍人小野田寛郎氏。
同じく、太平洋戦争集結を知らず28年目にしてグアム島より帰還した横田庄一氏。
全くの隔世に生きながら、彼らを支えたのは、御国の為という精神であったのですが、
此の精神支柱は本人の良心に基づくものであったからこそ、想像を絶する孤独を支えることができたのでしょう。

 

個人においては、此の「善」なる支柱というものの存在がなければ、如何なる孤独も耐えることは危ういかもしれません。

 

地位名誉、学歴肩書き、優秀な知能や、余る程の金銭的物質的財産に恵まれようと、家族や部下との問題、組織の軋轢に頭悩ませる姿は多々見受けます。

 

財産が絡んだ骨肉の争いは実におぞましく見るに耐えない。
兄弟仲良くが親の願いであっても、其処に他人が入り新たな家族構成となれば途端に揉めて、果たして血の繋がりは何であったのか、と思わせるケースは山程存在します。

 

事業を成功させ多くの不動産を所有した一見の成功者が、疑心暗鬼の坩堝の中で、孤独感いっぱいの裸の王様であることも多い。

 

いくらこれら数々の財に囲まれて生きようとも、人との関係に孤独感を持てば、世を渡る不安に苛まれ、その不安は永遠に解消しないことになるのです。
それこそが人生を重く引きずる孤独感であり、真の幸不幸は、それらと一線を画した位置で判断されるわけです。

 

肉親の縁に薄くても、肉親以上の人の縁に恵まれた人もいます。
苦難や困難にも、金なくしても人あれば、希望を持ち、越えて行く勇気もまた湧いてきます。
逆に地位や権威や金をもってしても、人なくしては到底、真の幸せと成功を得るには難しい。

 

今の世の中は、生きていくには大変難しい時代かもしれません。
しかし、これはただ一人だけに課せられたものでもありません。
世の中全体におけることなら、つべこべ言わず精一杯に生きて行きましょう。

 

夫が歯を食いしばって家族の為に一日を頑張って来たらなら、「お帰りなさい」の優しき言葉をかけてあげましょう。
夫は、日々家計をやりくりしながら主婦している妻に感謝の気持ちを持ちましょう。

 

子供は子供で、学校という場でいろいろ葛藤があるかもしれません。
誰にも言えず小さな胸を痛めているかもしれないのです。
長い人生を見れば、子供を一時的は視野でその個性を奪ってはいけない。

 

家族も会社も、縁あるその構成の中で、互いの信頼と人があれば、障害など乗り越え、幸せの訪れも十分期待できる気がしてくるものです。
そして、明日をまた頑張れる。

 

人なければ、全ては砂上の楼閣の様に虚しさに苛まれ続けるのです。

 

善を精神支柱として人生を生きる人に、真の孤独はないでしょう。
どの様な状況下においても、正道を歩むこと。
さすれば、人生の応援者は数々我の前に出てくるものです。

 

歩み、走るのは自分自身。
良心のゼッケンを胸につけ、額に汗し走るその誠実で自立した姿に、沿道の他人は応援したくなるものです。
縁もまた相応しくブーメランの様にまわり回って自分に還ってきます。
人生は、決して投げずに走り切ること。
其処に、大いなる人生価値が存在するのです。