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皆、幸せになろう

先日、開業間もない弊社で、パートとして働いていた人が来社。

数年働いて辞めた後も、時々電話があったり顔を出してくれたりしている。
 

その度に近況を話してくれるのだが、この日の話では、今年二人の子が家庭を持つことになり、三人の子が二十代にて全て片付くのだとか。
しかも、どうやら羨むほどの良縁らしい。

 

「そうか・・あのガキども・・もとい、あの時の子供達がそうなったのか・・よく頑張ったね」

 

子供等と初めての再会が大学生。
あれからまた過ぎ、月日の経つのは実に速い。

 

当時保険会社に勤めていた彼女は、まだ幼い子供達にできるだけ接しておきたいと、紹介により、融通を利かせたパート扱いということで私の元にやってきた。
かれこれ十六、七年も前の事だ。

 

当時、彼女は三十代の若さで御主人を癌で亡くしたばかりだった。
男の子二人、女の子一人、小学低学年の三人を抱えて、ご主人の家を離れ自分の実家に戻り、働きながら子供等の世話をしていた。

 

彼女は、よく気づきよく働いた。
何でもありの小さな会社では、勿論営業もありだ。
日曜日に、小さな子供三人を後ろに乗せて営業に出掛けていたのを思い出す。

 

会社にもよく連れてきていたあの小さな子供達が、立派に成長したか・・
女手一つでよく育て切ったものだ。
その一所懸命な母親の姿を見て育てば、悪くなろうはずがない。
子に、溢れんばかりの愛情は注ぎ込まれている。

 

「あとは安泰やね。歳とっても誰かがお母さんの面倒見てくれるだろう」
そう言う私に彼女は、
「子を当てにはしませんよ。私の老後の分はちゃんと段取りしています」(^ ^)

 

「ほう〜、そうか、それは感心」
「そうそう、子は子。無事育てるまでが親の責任」
「これまで大変だったろうけど、良い人生じゃあないか」

 

遠い過日、一緒にビラ配りをしたことも、「今日は映画鑑賞の日〜」と、
もう一人のパートさんと、勤務時間内に映画を観に行ったことも、昨日の事の様に思い出す。

 

天は、試練の傍らにしっかり褒美を用意している。
負に傾いたシーソーの坂を、逃げずに前を向き登れば、やがて幸せの向こう側に傾いていくのだ。

 

私は、私を巡る縁ある人々から数々の援助をもらい、その関わる人に、確信をもって幸せを返す。