ブログ

実人生期間

今年定年退職をされたという方と話す機会がありました。

 

若くして持病を抱えてここまでこられたその方曰く、

 

「よくも自分の身体を騙し騙し、なんとかこの日迄やってこれたものです」
「無事定年も迎えることができたので、今はほっとして、残りの人生ははおまけのようなもの」

今年六十歳のその方に、私は、

「えっ、まだまだこれからではないですか。
今度はのんびり人生を愉しんでくださいよ」
「そう、ご夫婦で旅行でもして、何か趣味でも見つけて・・」
と返しながら、

長い年月、摂生の日々を送らなければいけなかったこの方には、今でも辛うじて健康を持ち合わせている私の想像の範疇を超えて、到底解り知り得ない苦しみがあったに違いないのでしょう。

その方が迎えた定年退職というものは、その方にとって感慨深い一区切りの重みを感じさせます。

さてその方が続けて言われるには、

「nextさん、人生八十年として、六十歳迄で四分の一は亡くなっているのです」
「平均寿命と言っても、これは、足腰立たず、病床に伏せた状態の年数も入れてのことですよ」
「楽しむどころではない程に病院にかかっている人生を引けば、仮に楽しめるとしても、せいぜいこれからの十年かもしれません」

「初めの四分の一に入らなかっただけで儲けものです」

「私の場合、持病との共存でしたから、まあよくもここまでこれたな、という気持ちが強いのです」
「ですから後は、まあおまけのようなもので淡々と・・」

なるほどそうか・・人には寿命のなかでの人としての大切な実時間、有効人生というものが確かにあるだろう。

我々は、限りある日というものを、つい日常のなかで漠然と浪費させてしまっているのではないのだろうか。

例え短かかろうと長かろうと、人が生きた寿命の意味と重みは、決してその長短だけでは推し量れるものではないけれど、しかしながら、とかく漫然と送りがちな日々のなかで、確かに限られた実人生を、与えられた尊いものとしてしっかり大切に生き切らなければと改めて強く思うのです。