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帳尻合わせ

主婦は大変です。

年末年始、掃除に料理にと、ゆっくり座る暇もありません。
結婚して三十五年。
我が家は旅行に出掛けた時以外、三百六十五日、三十五年間、一度も台所から料理の音が途絶えたことがありません。

 

新婚当初、私は卸売市場に勤めていました。
早出のときは早朝三時には起き、年末の夜は、紅白歌合戦を配達途中の車の中で聴いていました。
正月休みも二日しかありませんでした。
雪舞う早朝も、妻はやはり朝食を用意してくれたものです。

 

今日は帰省しますが、実家に帰ったら帰ったで、実家の料理までするのです。
私に母親の手料理の記憶があるのは、小学生の頃、私の誕生日にカレーライスを作ってくれたこと、そのただ一度だけです。
家族の、そして私の世話は、全て祖母がしてくれていました。
子供のいなかった遠縁の祖母のところに養子に入った父。
祖母と私に血の繋がりはありません。
しかし、祖母はまるで母親代わりのように私によくしてくれました。

 

着飾ることはしても料理の苦手だった母。
小さい時から、台所に立つのはその祖母。
けれども台所から聞こえてくるのはいつも幸せな音でした。

 

商売していた実家が倒産しても尚、着飾ることばかりの母。
いつにおいても、自分のことはさておき、第一に子供と家族のことを考えて生きてきた妻。
私の紆余曲折の時においてもそれは変わりません。
ある日突然の退職を繰り返し、大いに迷惑をかけながら、日々の手料理は一度も変わることはありませんでした。
その他紆余曲折は満杯にありました。
自分のことはさておき実家に対してもよくしてくれます。

 

わが身のことばかり考え料理の苦手な母、周りのことに配慮し、料理を欠かさない妻。
天はうまく帳尻合わせをしてくれるものだとつくづく思います。

 

様々な想い去来する帰省をしてきます。

 

そうそう、ガス止められ、炊く米もなく、チキンラーメンをかじりながら、瀕死の状態だった学生の私に、差し入れをして救ってくれたのは妻です。
ただの親切が、その後長い苦労になるとは妻も露知らず。^^;
どんまい、どんまいの人生。

 

結局人生というものは、誠実を尽くして運は天に任せること。
帳尻合わせは必ずあるものです