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人生路

日々、多くの人に出会います。

仕事柄、相手が辿った人生路を、一歩踏み込んだ形で観ることもしばしばあります。
 

なかには、これほどまでに苦労をしなければならないのか、と思うケースは多々あります。
世に、不条理、理不尽は山ほど存在します。

 

私も、お陰で多くの人生経験させてもらいました。
だからといって、
「苦労」という言葉を、私自身容易く使うことはありません。

 

「苦労」という言葉を、おくびに出そうとして、世に多くの有様を見れば、やはり引っ込めてしまいます。
「これ如何で・・」となるのです。

 

世界の紛争地に生きる人、北朝鮮の民。
まだまだあらゆる所で、大変な人生を生きている人がいます。
その存在を考えれば、確かに経験したものは苦難の道だったとして、やはり「苦労」等と軽々に言うには心苦しい。

 

夜が明け、日の暮れるまで、一日を生死の狭間に、生き延びるだけに精神を費やさなければならないのと違い、平和な日本において、そうそう命まで奪い取られる場面はないでしょう。

 

苦労も大変さも、人によってその度合いもまちまち。

 

「苦労も」「大変さ」も、
言い換えれば、
「いろいろ経験させてもらった」
「いや~実にあれこれあったな」
「一言でいえないくらいだ」・・
となるのです。

 

対面し、様々な困難に遭ってきた人達の話を伺う機会を持つとき、私は、時に、私自身のこれまで遭遇した様々な体験を曝け出しながら、聴いてあげるのです。

 

確かに、世に、不条理、理不尽は多々存在します。
善も悪も存在する。
善人であるゆえに、他人の領域まで土足で入り込むような、その不条理、理不尽さに憤りを一際感じるのは確か。

 

善は、勝手気ままな、自己利に発する際限のない領海侵犯など到底持たないから。
余計に、それらに平気な人間と世に対して憤慨を持ちます。

 

個人も国家も、過ぎた自己利によって、人類は、終わることのない永遠の課題の中に生きているのです。

 

で、数々の「苦労」をされた方、とりわけ人間関係に苦労された方にお会いして、話をするなかで、私は次のようなことも言うのです。

 

「確かに、ありますね。人生には歯がゆいこと、理不尽なこと
私もいろいろ経験しました
なんで?と思い悩むことも多々ありました」
周りにそれらが氾濫して、誰を信じていいのか・・
でも、そのような時、支えはやはり自分自身でした
他人にひどい仕打ちを受けたからとして、果たして自分がそれを他人にできますか?
誰知ろうとも、自分が生きた路は、自分自身がよく知っている
先ずはそこです。自分自身を拠り所とすることですよ」

 

「人生、すいすい、頂上まで一足飛びにEVで上れる人もいます
逆に、ビルの屋上を階段で目指すような人もいます。
上り階段は確かにしんどいですね」
「でも、決して途中で放棄することがあってはならないのです」

 

階段を苦労し上りながらも、階段はそれぞれに踊り場というものがあります。
その踊り場が気付かせることは実に数多い。
踊り場は正に自己成長、そして価値発見の場でもありえるのです。

 

自己利、保身、ずるさ、際限なき欲・・
確かに、それら器用に使いこなす連中は、要領よくも生きている。
心優しき人は、分かりながら今日を懸命に生きている。

 

「しかし、よく頑張ってこられたではないですか」
「いろいろあっても幸いにして借金はないでしょ?」
「理解者である奥さんもいらっしゃる」
「上等ではないですか」
「私なんか、大変さは、今も現在進行形かもしれませんよ」”^_^”

 

「数々の歯がゆさ、怨みつらみは早々に切り離して前に向かうことです」
「金なんていくらあったとして、あの世に持って行けるものでもありません」

 

私は、親が残した財産で、兄弟という肉親の縁が醜い姿に変わることも多々見てきました。
意味合いを持つ血縁も、大きく観れば、他人とさしてかわらない、ただの人間的交わりに過ぎません。

 

「ずるい人間が、うまいことのまま生き続ける
そうはなりませんよ」
「悠久を渡っていくのが人間です」

 

「例えば、我々がTVドラマや映画を観ますね」
「登場人物は様々です」
「金持ち、地位、名誉、学歴、生まれ育ち、容姿、学力・・」
「それぞれの配役に、善人も、ずるい人間も、詐欺師も悪人もいるでしょ?」
「ドラマのなかの人物は、うまいことやっていても
観ている側は一目瞭然です
誰が悪い人間なのか
それは、悪人が観ても悪人が判る」
要するに、当人達はしてやったり一時を騙せても、観客側を騙すことなどできないということです。
観客側、言い換えれば、観る人が観れば判るし、はたまたお天道様も判っている」

 

「過去は過去、負に縁を切り、グレーや黒に惑わされず引っ張られず、とっととリセットして残りの人生を、しっかりと前を向いて歩まれるべきです」
「そして、奥様と好きな場所へ旅三昧されたらいいです」
「心休まる思い出を、沢山作られたらいいです」(^^)

人生はその人が持つ想念に相応しく、縁が円を描いていくものです。
先ずは、自らを信じ、愛することです。
善人は、真理によって見守られているのですから。