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吉田松陰

吉田松陰先生・・

先生はあまりに純粋過ぎます。
時の志士達においても、彼らは多分にその志において情熱と純粋さを持っていたに違いないけれど、先生においては、
例えば印象的にいうところの図太さとでも言おうか、正にその肖像画に見る細い御身に印象付けられるように太くほ
とばしるエネルギー部分を削ぎ落として、ただ純粋さだけが精神的支柱の様相なのです。

もちろん他の志士とタイプは違えども、その熱情は逆に1点に研ぎ澄まされるかの様でもありその何をも突破するエネ
ルギーは強い。
そして生真面目で純粋過ぎるが故に、ほってはおけない気持ちになるのです。
前ばかり見ておられ、抜けておられるところ多々あります。
多分に不用意過ぎます。

先生には、取り繕う部分やしたたかな部分がなさ過ぎます。
あまりに心剥き出しに無防備ともいえるその先生の想念というものが、傍に見ていてはらはらすることがあります。
しかし、その純粋さと人間臭さが、たまらなく魅力的なのです。
そして、心広くとても優しい。

先生のような人には、今の政治の世界にはおよそ合わないし、先生が活きる場でもありません。

時に直情的な面を持ち感情激しく、先生のその真っ直ぐな精神の発するままの行動を誰も止めることはできません。
まるで子供の様に、無垢で純粋なる先生のエネルギーというものは、下田沖に浮かぶペリー率いる黒船艦隊へ無謀と
もいえる密航をも企てさせました。
しかし、その無謀に想いが勝っての行動こそが先生らしところでもあります。

現代の世に蔓延する策と保身の指導者世界とは違い、先生という人は、例え無骨であろうとも、また、弟子には心の
発露するまま、弱点をも見せながら、しかしその素の人間的魅力によってその「心」が多くの門下生に伝わり、その
後のエネルギーの発火点となりえたのです。

その人から真に発せられる熱情によって、人の心は動かされるのです。
人の心に、策など遠く及びません。
先生の魅力は、時を経て永遠です。

 

以下 「維新の先覚 吉田松陰」
編集 山口県立山口博物館 発行(財)山口県教育会 P96より抜粋

自分が幽囚の身で死ねば必ず一人のわが志を継ぐ士を残しておくということ、これも松陰の活きた覚悟である。
教育者松陰の大切な性格がここから出てくる。松下村塾の学習が教壇からの講義ではなく、松陰は一粒の麦となって、
誰かの中によみがえりたいというのである。松陰が弟子を愛したことは有名だか、よく相手の個性を見抜き、その成熟
を楽しむという形で行われたのは、相手が生きなければ自分は空しく死ぬということになるという強烈な自我の発露である。
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