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恋愛事情

昔は、早期に結婚し、女性は主婦に収まるというのが一般的でした。

若くして妻となれば、主婦として母親として、ある種自由は奪われます。
見合いにしろ恋愛にしろ、それが、広く一般的な結婚というものにおける傾向の時代にあっては、主婦になることが、特別、人生の自由を遮断されたとは考えません。

まだ遠い昔、封建的社会の時代にあっては、周りの勧めがまかり通り、個人の考えなど通らぬ形での結婚を余儀なくされるということが多々ありました。

 

しかし、自由恋愛を奪われ、意に沿うぐわない形での結婚というものが、全て不幸だったのか。

 

もっとあったかもしれない自由と相手を、ちらり、後髪引かれる思いを持ちつつ、なんとなく妻に収まりながらも、子育てのなかで深い母親としての愛情を膨らませ、決して美男でもない、意に沿うぐわなかった夫の優しさに気づき、やがては平凡な中の大いなる幸せに気づいていく。
此の様なことはざらだったのではないでしょうか。

 

現在は諸事情も違います。
職の不安も含め、様々に不透明な時代にあっては、多くを躊躇させるのも事実です。

 

しかし考えれば、飽食と自由が蔓延した現代と、大半がひもじいなかにあった遠い過日は、フィフティ-フィフティでもあろうと思われるのです。

 

我の自由を求め続ければ、束縛される家庭人が遠のく。
いつの時代にあっても完璧なものはないのです。

 

結婚願望がありながらも、なかなか縁に恵まれないというケースもあるでしょう。

 

局所的に申すなら、恋愛だけに限らず、飽食の時代における溢れんばかりの自由を当然のように享受しながら、人は、気づかぬ内に、大切な多くを手放してきたのではないでしょうか。

 

仕事も恋愛も、多くを見て、知り、解ったと思う頃には適齢期を過ぎている。
選択肢の多さに、心は際限と真実を見失う。

 

人生には、時に向こう見ずも、思い切りも、そして勇気も必要かと。
そして何より、真実を見据える素直さこそ、幸せの入口に近づけるPointだと思われるのです。

 

とても恋愛のことなど語る立場にない経験不足の私より。爆
でも、私が、もしイケ面で持てまくりだったら、今、幸せだったかは不透明。
人生における幸運との出逢いは、案外そのようなもの。