ブログ

キャパシティ

人の魅力というものは、その人が持つ表面における能力等々よりも、人間的キャパシティの深さによるところが大きい。

 

仕事におけるスキルが高いとか、きゃぴきゃぴに饒舌で如才なく世渡りに長けているとか、そのようなことよりも、極めて人としての魅力を感じるのは、まるで限りのないようなその人の懐の深さによるところと思うのだ。

 

趣味においても生き方においても、決して華美に走らず、さりげないなかにひとつの精神的美意識というものを持ち合わせている。
いわゆる心の引き出しが多いということ。

 

冗談も言いながら、気取らないなかにひとつの信念を持ち、俯瞰的に物事を観ることができながら、決して学者肌でもない。
例えていうならば、時を経て、酸いも甘いも経験しながら尚、真摯で誠実なフォーク歌手の存在のような・・

 

男は時に、夢見る夢男さんであることもまた確か。
それはまた、ひとつの現実に囚われない自由な魂を持つということでもあるのだろう。

 

ブランド品に身を着飾ったからとして、形ばかりのセレブを装ったとしても、決して力任せに得られるものでもない心の価値というもの。

 

いかに、顔の手入れに精を出そうと、やがて人は老いていく。

 

流線型が眼を引くスポーツカーも、高級外車も、覆われた車体をはぐれば、どれもほとんど変わりない無骨なシャーシーが露出する。

 

高級車には、少しの汚れもエンストも似合わないが、喘ぎながら坂道を駆け上っていく軽はまた、心を傍にして人馬一体の様に、走る愉しみを手にした当時の、忘れてしまった温もりさえ感じるのだ。

 

昔の車には、今の様に隅から隅まで、そつなく完璧に整えられてはいなくとも、時を経ても飽きない魅力があった。

 

底を取り替えながら、こもった職人の手による靴は継がれていく。

 

真の人の心の温かさとは、男女に関係なく、年齢に関係なく、例えようのない、そこに漂う、微妙な懐の深さの間合いを持ってして分るのである。
まるで気負いない、その様な人と交わっていると心安堵してくるのだ。

 

これかからの人生。
人は、必ず自らの想念によって今が創り出されるもの。
さすれば、やがて必ず相応しき縁というものは眼前に降りてこようというもの。

 

全ては流れに任せて、惑わされず、悠々と日々を送るのみ。