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人生の王道

人生というのは、運動会のライン引きの様に、消石灰が入った手押し車を前に進めて行くようなものです。

路は凸凹道だからスイスイとはいきません。
人それぞれでしょうが、私の場合、引く線上に障害となるいろんなことがあったとして、やっぱり前を向いて引いてきたのです。
 

後ろを振り返れば、なんともジグザグで、スッと伸びた綺麗な線に比べ随分と汚く見えようと、石にぶつかり箱ごとひっくり返った跡があろうと、直に地を這った人生ですから、線状の振動は押す我の手元に伝わって、いずれも心に残るわけです。

 

年に何度となく、私が触れた過去における事象を思い浮かべます。
意識して思い起こそうとするわけではなく、ふとした折に、その時々の場面が蘇るのです。
それは、出勤途中の車中であったり、寝床の中であったり。

 

幼少時から、私の身の回りの世話をずっとしてくれた、血の繋がりのない祖母の事。
不憫さを想いながら、ついぞ恩返しができなかった無念さ。

 

四十年以上も前の高校生の時、バイト先でお世話になった人の何気ない優しさ。

 

チキンラーメンをかじっていた大学時代。
警察内にあった食堂の通い帳に滞った、定食百八十円の飯代。
溜めた数千の、その金が払えず、
私はそのまま気まずく足を遠のけてしまった。

 

卒業前の夏休み、帰省先にその食堂から葉書が届いた。
「久しくお会いしていませんが、お元気ですか・・」と書いてあったその暑中見舞いに、
滞納した食代のことは一言も書いてなかった。
あの時の食堂を経営していた家族は、明らかに私を見逃してくれたのだ。
その後、ついに私は心に悔いを残した。
四十年経った今でも、年に何度もその食堂の心を思い出す。

 

七度転職、八度目にやむなく起業することになったけれど、
私は、今日に至るまでの縁の全てに感謝を忘れない。

 

大学時代の、ガス止められ風呂なし四千円の四畳半は、不思議に今振り返っても晴天の下のようだ。
その状況下で妻に出逢うこともできた。
紆余曲折の人生は実にハッピーなり。

 

これからも私は変わらぬ人生のラインを愚直に引いていくのです。
しっかり手に伝わる、地面に存在する人生の王道を。