ブログ

前を向け

三十年も前の事。

路地の入口に停めた1tトラックから降ろした沢庵、漬物、鶏卵等の食材を
この路地の各店に配送する日々。
雨の日も、今のような暑い日も、エアコンなしの車でルートセールス。
ここを含め市内中心部が私の担当エリアでした。
 

3坪前後の小さな店々の邪魔にならないように、例えば通路で、箱を開いて鶏卵を店のステンレスボールに詰め替えるのです。

 

通行人の邪魔にならないように、路地の隅に避けしゃがみ込んで前垂れ掛けをした私の目の先は、行き交う人群れの足元でした。

 

とりあえずいつの日か、スーツ姿で颯爽とビジネス街で仕事している自分自身の姿を漠然と夢見ながら、黙々と頑張っていました。
人の足元に自身の歯がゆさを思い、現在地より理想郷への脱出をもがきながら。
言わばこの路地こそが、今日ある私の原点。

 

先日、採用を求めて、市の人材支援事業の方が来社されました。
部門は若者支援。

 

1カ月もたない、時に就職初日、社内見学をした端からどこかへ消えてしまう若者もいるとのこと。
社会で共存し生きていく上での、基本的な姿勢まで教えなければならない状況であるとも嘆いておられました。
そんなことは家庭で、学校で教わっとけよ。

 

現代の若い層は、よくもわるくも「あっさり」している。
それは、ある意味自己利優先の傾向を持つとも思われます。
自分の領域外は無関心。
何かしようという覇気もエネルギーも伝わってこないケースもあります。
その様な人間は、ただでも必要なし。

 

確かに、現代社会は希望が見えない要素も多々持ち合わせています。
しかし、社会がどうこう言う前に、そして周りの状況がどうあれ、何時いかなるときも、前を向き歩いていくのは、自分自身でしかないのです。
時に辛抱も必要。
自らが必死にならずして、誰に必要とされ声を掛けられるでしょう。

 

決して自慢する分けではありませんが、
八度転職しながら、一度も失業保険などもらったことはありません。
かといって、抜け目なく次を周到に段取りして辞めたこともありませんし、できる性質でもありませんでした。
辞めるが先で、しかしその都度幸いにも声を掛けられ、なんとか活かされてきました。
それはとりもなおさず、どの様な状況下においても自分なりの懸命さが周りに伝わっていたのでしょう。
四の五の言う前に、先ずは精一杯に生きる姿勢が大切。

 

紆余曲折あっても、障害があっても、めげずに、自分を少しでも現在地より前進させるのは、自分自身でしかありえないのです。
棄てようと拳のなかにしかと力強く握り支えにしようと、何時の時も、希望というものを左右するのは自分自身。

 

誠実に懸命に生きる自分があって初めて、運気にも縁にも恵まれるのです。

 

あの日々に出遭ったデパート。企業。
私の目に、華やかに映った、颯爽と通勤する企業戦士。
活気のあった商店群。
時代の流れとともにそれらも数々消えていきました。

 

とろとろと、しかし私は今でも活き続けています。
もちろん、現在地より一歩前進、成長の気持に衰えはありません。

 

人生、何が幸いするか幸いしないのか。
それは終わってみなければわからない。

 

だとするならば、生きる上で失くしてはならないのは、今を逃げず一歩前に踏み出す勇気と、誠実に生きる姿勢に他ならないのです。

 

1 2