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内なるもの

人生というのは、山と谷を描く波長にも似ています。

いいこともあれば悪いこともあるのが人生。
日常生活においても仕事においてもそうです。
調子よく運が回っていたかと思えば、此のところなんかついていない、等と、バイオリズムのように波動していきます。その影響を受ける部分は、不可抗力的要因による場合も内的要因による場合もあるのですが、概してその人が持つ内なるものに起因します。
 

何時も同じところで躓く。
せっかく上手くいっていたのに、つい思わず同じところで落とし穴にはまってしまう。
そして、またか、と思うのは、大概においてその人が持つ欠点部分というやつです。
仕事においても人間関係においても、人は多少なりともその点に何度もぶつかりながら、その都度反省気付きを重ねていくのです。
けれども、人生を運営させる上で、自己の最大障害要因(欠点)というものは、容易いようでなかなか乗り越えられない場合もまたあるようです。

 

人は皆、長所短所を持ち合わせています。
人生を好転させるには、自らの長所を大いに認め、最大限伸ばしていくことが大切で、
短所ばかりに囚われて、せっかくの長所まで精気を失い自滅するようなことがあってはならないのです。

 

他人が思うほど、自分が欠点と思っているものは、それほど卑下するものでないこともあるのです。

 

けれども、せっかくうまくいく人生を、明らかに疎外する要因となる欠点というものがあるならば、そして自らそれを認めることができるなら、やはりそこを是正していく努力は必要でしょう。

 

人生路を上手く歩いている上での、その人ならではの障害克服Pointというものは、当人の心の現在地において必要とあらば、繰り返し何度でも対峙することになります。
つまり、個人に相応しい形で、成長の為の是正を促されているのです。

 

乗り越えるまで遭遇を繰り返し、その都度気付きと反省を繰り返しながら、再びふとしたところで自己の欠点をさらけ出してしまう。
せっかくそれまで上手くいっていたものをチャラにするようなこともまたあります。
まだまだ乗り越えるには不足な部分があるということなのでしょう。

 

そして、その都度階段を転がり落ちるような状況に自己を反省し、気を取り直してまた再度成長のチャレンジをする。
そのようななか、人生行ったり来たりの自分を、再び得た気付きと反省によって、一段上の成長の踊り場に乗せるのです。

 

大切なのは、一足飛びでもコツコツ一段ずつでも、階段を上ろうとするひたむきさこそが、やがてその人の成長と幸運を呼び込むのです。
幸運は決して離れてはいかないのです。

 

私など、何度も同じ失敗を繰り返し、ほとほと自分自身情けなく思うことも多々あります。
いい加減、天にも見放なされるのではなかろうかと思ったりもしますが、なんと天は寛大なものか。

 

例え何十回と反省すべきことにぶつかったとしても、再び懲りずにチャンスを与えてくれるのですから。

 

いずれにしても、浮き沈みのキーポイントは、自らの欠点により招いたと思われる障害に、真摯に反省し、関わる全てに感謝の念を思い起こし、心清らかに研ぎ澄ませること。
時にひたすら猛省。

 

なんと、また波動は大きく山を描いていくのです。

 

欠点だらけで度々未熟さ露呈し未だに反省しきりの私が、何度も経験している明白な事実です。

 

だめかな~と思ったら、ひたすら反省、ひたすら気付き、ひたすら感謝。

 

失敗も成功も全ては自らの内心に起因するのです。
正しき想念を大いなる友として自分を信じて生きれば、幸大いにあり。

 

坂本龍馬と共に薩長同盟の立役者であった中岡慎太郎。
写真の笑顔は何を想っていたのでしょう。

 

その中岡慎太郎の言葉・・ 

「志とは目先の貴賎で動かされるようなものではない 今賤しいと思えるものが明日は貴いかもしれない
  君子となるか小人となるかは家柄の中にはない 君自らの中にあるのだ」‥
良いこと言うではありませんか。