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偏重的恋愛雑感

結婚というものに誠実に向き合いながらも、残念ながら離婚に至る事があります。

考えてみれば、此の世に唯一人の人生パートナーを見つけるなどとは、至難の事と言えるかもしれません。

特に現代社会においては、生活するという環境において幾多の障害もあるでしょう。

 

その昔においては、親が勧めた相手に嫁がなければならない時代もありました。
しかし、戦国時代の翻弄され生きなければならない姫君達はともかく、出逢いに狭く、選択に不自由な時代が不幸であるとは言い難い。

大変さも辛抱もありながら、片方で、格別の幸せも喜びも多く存在します。

現代においては自由というものが蔓延、し過ぎた感もある。
男女においても、数多く付き合い、互いに多くを知り、結婚に失敗しない為の先行同棲という形も多いようです。

簡単に付き合い悪びれもなく別れるを繰り返す。
今の風潮に一定の理解はしながらも、度を過ぎていけば、真実というものから離れて行く畏れもそこには介在すると、旧い私などは考えてしまう。

 

結婚というものは、ひとつは、勢い思い切りの部分があるかもしれません。
学生を過ぎ早々と結婚生活に治まる人と、熟慮というなかに何時しか流れて行く人。

不自由さも自由さも、此の世界に唯一人なんて、これはもう、なるべくして成る赤い糸の仕業にほかならないでしょう。

となれば、出逢いに対峙する姿勢は、 一つの純粋さを持ち、一貫した誠実さがなければならないと思うのです。


間違いなく、その心に相応しい出逢いというものがあります。
想念に呼応して、人の縁は発生する。

 

不幸にしてバツイチになろうと、バツニであろうと、
あまりに繰り返すのは、本人にも問題があるので自己を考えてみなければならないでしょうが、臆する事もまたありません。
経験したとして、大切なのは心の所在。

で、悪びれもなく、簡単に軽く男女の付き合いを繰り返す者と、誠実に結婚しながらも離婚に至った者とどう違いがあるでしょう。
自由さの中の男女は、時に、見えない離婚を繰り返しているのと同類でもあるのではないでしょうか。

 

あまりの自由さは、赤い糸と真実を遠ざける。

話変わり、他人のものを奪うべからず。


男女とも、結婚状態にあるものを横取りする行為もいただけない。
万一、その様な状況に置かれた恋愛なら、相手の離婚を定めてからにするべきです。
略奪は、結果多々不幸を招く事が多い。