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センス

 「センス」のある人ない人。

ブランドを身に着けて、高級外車を乗り回して・・
その様なセレブな様云々あるいは、身分、肩書きでは語れない領域での存在、「センス」。
 

いわゆる人生における、その人の生き方や想念というものに、品格・品位があるというか、それは、例えばその人におけるひとつの価値観、趣味嗜好においても垣間見ることができたりもする。
そして、それらは、人の縁とともに、個人の相応しき人生そのものとして形成されていく。

 

人の性質・性格はそれぞれに違えども、正しき想念を宿す人の、それをひとつの「センス」と呼べるかもしれない。

 

この様なことがある。
旅先にふと出会った御老人から醸し出される、人となりを、その僅かな会話の一瞬に感じ取ることができて、相通ずる幸福感を感じたり。
そして、また、この様な人に出会いたいと旅の欲求にかられたりするのだ。

 

人は、生きるなかで人においても眼前の現象においても、微妙に合う、合わないを持つもの。

 

決して表面では語れない、その人が持つ味わい深さ、そして人生の多くを知りながら、そっと懐に忍ばせて見せない深さ。
それは、人にも物質にも言えるだろう。

 

せっかくの人生上で、私にとって真の幸せなる充足感を自分にもたらせてくれるのは、やはり身分、肩書きでは語れない領域での存在、「センス」を持つ人。

 

よく、私は、妻から「突拍子もないことを言う」と言われる。
そんな私が、場と言葉をわきまえず言わせてもらうなら、

 

例えば、今の陛下は、「センス」が十分おありだ。
一日皇居の堀でも眺めながらご一緒させていただいたとして、交わす言葉少なくとも、飽きることなく、なんともいえぬ平和感を共有できることだろう。
私は陛下とも、身分を超えて友人になれるに違いないと思うのだ。

 

十分に足りる幸福感を、例えば、花に、音楽に、旅に、家族に持つことができる人というのは、なんと幸せなことか。
そして、この世に、足りるを知らず追い求め続けながら、真の幸福価値を益々遠く手放していく人のなんと多いことか。

例えば、風や水のように、何ものにも縛られず翻弄されず、失う恐れなく、何処へでも自由に永遠に渡っていける音楽はいい。
音楽もまた、ひとつの「センス」を持っている。