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今世にて

「此の世で懲り懲り、来世まではとんでもない」

と言う妻は、苦労を買って私をサポートする崇高なる役目を自ら担った。
 

他にも数々、私が走る人生の沿道に、偶然を装った必然的縁は現れては消えていった。
上り坂も下り坂も、妻はいつも伴走者だった。

 

雨に降られ嵐に遭い、凍てつく道を行き強い陽射しの下で額の汗を拭い、峠の茶店で一息つくと遠く向こうに広がる青空があった。
青空に浮かぶ白い雲は、何事にも動じず悠々と流れていた。

 

人生道程における我の援助者達。
私もまた、日常において仕事において、少しばかりの親切をした。
これもまた、しばしば私を必要とする必然が回すものであると理解した。
何故なら、これらはみな私がそうすべく決めて此の世に降りたったからにほかならない。

 

困難も自らが選択したものであるから逃げる事はしない。

 

経営においてや仕事を介して人と関わるなかで、私は今、いつか遠い過日に私が世話になった人達への返礼を、僅かながらでもしているのだろうと思った。

 

その他数々返していかなければならないことは、まだまだ山積みのようでもある。
そして未だ、私は何を目的に、どの様な道筋を描いて此の世に生まれ出たのかを模索している。

 

子は親を選べないというが、決してそうではない。
私の両親を選択したのは私だ。
人は、親子そして配偶者の関係にとやかく言う余地はない。
関係は双方に深い意味合いを持つ。
例え互いに葛藤の人生が待っていようと、親は、せめて子が思考と身体の自由を持つまでその責任を持たなければならない。

 

いずれにしても、今日の事象明日出会う人、受ける親切授ける想い。
全ては自ら描いた人生双六をいくようなものだ。

 

人生を誠実に生き切るということは、バトンを受けて走る者の役目であろう。
ゴールの先にバトンを渡すのは、次を走る私自身かもしれないのだ。