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八日目の蝉

先日観た映画「八日目の蝉」は、心に余韻の良い作品でした。

この作品で主人公を演じたのが、女優永作博美さん。
映画、TVによく登場されているようです。
 

女優のなかでは、飛び切りの美人の部類に入るわけではなく、どちらかというと可愛いタイプになるのでしょう。
際立つことはないけれど、何故か存在感があります。
不思議と魅力を持ち、存在感がないようで存在感がある。

 

その存在感というのは、彼女の長けた演技力に他ならず、それはおそらく、将来においても此の世界で必要とされ続けることでしょう。
もちろん、それは彼女自身の、俳優との真摯な対峙と精進に因るものに違いありません。
彼女の女優人生は、彼女自身によって担保されている。

 

一時をもてはやされながら、やがて消えていくタレントや俳優というのは数知れません。

 

主演でも脇役でも、
「この人がいることによって作品を膨らませることができ、いなければ広がりをもてない」
「この人によって良い作品ができた」
そう周りに思わせ、必要とされる存在にならなければなりません。

 

ひとそれぞれ個性があります。
他人とは違う自分です。

 

昨今においては、若い人に、良くも悪くも平均的な真面目さと能力を持ちながら、半面、画一的で個性の乏しさを感じることが多々あります。

 

若さ等、やがて瞬く間に後方に流れていきます。
その他大勢の中に埋没するのか、それとも、「我」の存在を構築して、時代の流れにも必要とされる人間であり続けるのか。
怠惰は、やがて、ただのおじさん、ただのおばさん、ただの大人になって、
愚痴ばかりの、つまらない人生を引き摺り続けることになります。

 

自分自身を極めることに余念なくして、永作博美さんの今日はないのだと思います。
彼女の此の先は、おそらく安泰でしょう。
女優として個が活きた必要存在ですから。

 

隣の芝生を青く見、他人を比較対象し続けながら、気付けば自分自身を棄て、一片の魅力を持たないその他大勢の中に居続けることになる。

 

人生においての主役は自分自身ということをよく理解し、誰とも比較しない「我」を育て上げることです。
自分の人生は、自らの意思と行動によって担保していくものです。

 

希望の一歩踏み出すか踏み出さないか。
全ては自らの手中に存在しているのです。