ブログ

公平(公正)と平等について

 先の新聞報道等にてご存知の方もあるかと思いますが、プロ野球、日本ハムの大島選手が、此の度2290試合目にしてプロ入り通算2000本安打の偉業を達成しました。ただ単に2000本といっても、年間約130試合をフル出場して。1試合にせいぜい4回のバッターチャンスに尚且つ3割近い打率、すなわち1本ずつ打っても15年かかるという、気の遠くなるような話です。これを彼は22年掛けて成し遂げたわけです。しかも現在39歳で40歳も間もなくということです。

達成した先日のあるスポーツ番組におけるインタビューのなかで、「監督にやめろと言われるまで、体力の続く限りヒットを打っていきたい」と、淡々と話す姿に 滲み出る彼の真摯な姿勢と人間性に感動し、頭の下がる想いを持ちました。

プロ野球に関して言えば他にも、42歳で、なお第一線で頑張っているオリオンズの門田や怪我を克服して600登板を果たしたロッテの村田兆治、中日の落合等、私の好きな選手達がいます。
彼等は概して、大した事を成し遂げながらも一様に淡々としています。さらに才能と努力という点では、努力の方でコツコツとこ今日まで自分を積み重ねてきた人達なのです。
決して人生をあなどらず、常にたゆまぬ精進で己の終わりなき成長に努力しています。彼等は選手生活を離れた後も、決して自身の人生を、自らの意思でリタイアすることはないでしょう。

反して、例えば当初より、鳴り物入りで脚光を浴びてこの世界に入り、一時的に華やかに持ち合わせた才能の分だけ活躍し、去って行った人達もいます。
多くの選手のなかでも活躍できるのは一部。そのようななかで、大半の選手とスター性とも無縁の大島選手とに差がでるのは、やはりこの、少しでも自分を成長させようと努力する結果の何ものでもないと思います。

 よく我々は、公平と平等という言葉を混同してしまっているようですが、平等というのは、「生きる権利は人間皆平等にある」とか「人権や身分の差はない」という意味であり、公正とは、「正しい判断に基づいた見方」と解釈できるのではないかと考えます。
それはどの様なことかと言うと、例えば、「悪しき要領のよい人と真面目で誠実な人」「物事を素直に捉える人と自己中心的で反省心のない人」「人生を投げた人と常に前向きで真剣な人」「自分の利益だけを考え振舞う人と割に合わぬことでも引き受ける人」等々・・・

これらがなす結果は、決して給料や生活や人生においては、公正であるべきであって、平等であるはずはないといえます。又、仮に不運にも、現在において不平等、不公正な状況下におかれたと思われる時にも、決してめげることなく、今の自分を少しでも現在点より成長させ、公正の基準に合格させるよう努力する。
そうする事によって、公正の目を持った信頼できる立派な人と出会えたり、幸運の女神が自身に降り立ち運が向いてきたりするというものです。

私は男性でも女性でも、謙虚に自分を見つめ、前向きに、内に静かなる情熱の火種を、絶やさず持ち続けている人が好きです。

人生はとても短い。
ある本に書いてありました。
「ライバルは人ではなく天である」と・・・私もつくづくそう思うのです。