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人間とは

人間とその他生き物との違いは、脳の形成に違いがあって、例えば、水面に石を投げ入れれば波紋を描くように、思考を放射状に意思を持って及ばせることができることであるだろう。

また理性を持って事の判断もできる。
此の思考のオンオフ、停止前進を意識できることこそ、人が霊止(ひと)たる所以であり、その他生き物との差異にほかならない。

しかしながら、人間と同様に本能に生きる動物にも母性があり、屠殺場に連れられる牛は、現実に意識を持つかどうか、目に涙を浮かべる。

理性を持つとする人間は、際限のない欲望と自己利の中で止まることを知らず、理性を持たない動物は、本能のなかで一日を満たすだけの摂理に生きる。

理性の人間は子を捨ても、本能の動物は自らを犠牲にしながらも必死で子を守っている。

紛争は止まず欲望は果てしなく、目先を凌駕し続ける人間。
自己利によって破壊する側と慎ましやかな善の被害者。
全体の危機として捉えられず負担を受け入れない者達は、立場変わればまた同様に主張をする。

考えれば、生きていた全員が此の便利さを享受してきたのだ。
有限の資源を人類は、進歩と引き換えに食い潰してきたに過ぎない。

国の借金は、やがて一家庭あたり2000万に到達する。

破綻の答弁に表情はなく、その無機質さに虚しさを覚える。
我に終始する人間がどれだけ多いことか。
二十年先三十年先、世の当事者達はどれ程生きているのだろう。
子供達やこれから生まれ出ずる子は、あまりに大きい負の遺産にどう立ち向かいどう希望を持てばいいというのか。

全ての物体に永久はない。
地球もいつか消滅する。
それは遠い事として考えずとも、資源を限度あるものとして地球上全体の共生を考えなければならない。

しかしながら人間の思考はなんと遠くへ及ばないことか。
個人も国も、永遠の過ぎた欲望の坩堝に生きることを繰り返している。

人類誕生以降、進化は知るは足るを欲に運び現在に及んだ。
しかしながら、野生に生きる動物の様に、陽が昇るに起き青空を仰ぎ自然と共生しながら、石で火を熾し家族を守り一日の猟を足りるとした時から溢れるばかりに満たされた現代におけるまで、人類はどれほど進化したというのか。

心を遠く、そして鳥瞰的に現実を観るなら、ちまちまの世界に憤る橋本氏の気持ちが良く理解できる。

何故こうも我に終始する人間の多いことか。

地球が、其処に生きる我々人間の修行の場として存在するとして、しかし、あまりにその心はお粗末過ぎる。

心を持った人間に大切なのは想像力だろう。

遠く離れて宇宙の彼方から此の地球を遠望するなら、動物と違う理性を持たされた人間に与えられた課題も、動物と差ほど違わないその小ささも観えてくる。

未開の地に生きる者と、先進の中に生きる者とに心の違いなどはない。
ましてや肩書き学歴、生まれ育ち容姿、金銭的物質的多寡など、ちりほどの比較でしかない。

遠く近く、浅く深く、俯瞰的視野で世界を捉えることのできる人間こそ世に必要だろう。

午前三時過ぎ、うつらうつらの中でいつもの憂いと憤りが頭を持ち上げてきた・・
どう書けばいいのか。
大宇宙から小さな地球の中心部をめがけ、つるはしの一撃を振り下ろしたい気持ちで書いた。

戦争、貧困、放射能・・
テーマは大き過ぎてどこからどう書けばいいのか。
しかしながら物事の本質は簡単に捉えられる。

日中、少し頭を上げるとビルの谷間からも青空が見える。
里山風景の中に立ち、そよぐ風を感じながら眺めれば、同じように青空が広がっている。
そこを悠々と流れる雲は、何事もないように今日も浮かんでいる。

個人も国家も、永遠の業を引き摺る世界にあって、真実はいとも簡単に分かるのだ。
遠くに思いを馳せることができるなら、足ることも知り、地球上の全ての存在に有難さと愛おしさを持つことができるだろう。