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留魂録

現代の世は、過ぎた個人主義と、あまりに合理的であっさりとした人間関係が蔓延しているように感じられます。

自分にとっての損得を物事の優先順位とする社会や他人との関わり方は、一見当たり障りなく良さそうであっても、実は平面的で無機質で、やはり、我を中心とした勘違いの平和的在り方の様にも窺えるのです。現代人は、有り余る物と利便性の波間を漂いながら、充足感や幸福感、そして感動することを忘れ、真の幸福を見出せないまま、人生海上をアップアップしながら漂流しているかのようにも映ります。
全てに満たされなくとも希望と人の温もりがあった「三丁目の夕日」的光景は、人が人であったのです。

人があって物がある。
その時代を生きた人は、心を主人(あるじ)としてPCや先進的機械を使っています。
が、今は、人の心は物に埋れて、まるで人と物の、その境界線を無くしたかのようです。
如何に考えられた安全な原子力も、それを司るのは人心。
TV画面に映された当時のやりとりに多くの人ががっかりとする世の中。

生まれた時から満たされた甘えの構造は、成人してもなお、幼子が補助輪のある自転車に跨り、後ろに親の手を受けている。

若い女性が、結婚願望を持ちながらも、敢えて共に苦労をしたいとまで思わせない男も多い。
女性に体力仕事は無理でも、男は、がむしゃらに肉体労働でもできるのです。
額に汗することもなく、たかだか一年の仕事辛抱もできなくて誰が一生を共にしようと思うだろう。
それくらいなら、自分一人で生きた方が煩わしくなくて余程いい。
如何なる困難な状況下においても、懸命に仕事に人生に対峙している男は、どこかきらりと輝いて、相応しきパートナーも現れるものです。


平面的、画一的ではなく、そのひとならではの個性が光っている。
これが大切。

戦国時代に生きれば、多分に脆く危うくひとたまりもない吉田松陰。
内面が丸見えのその性質は、しかし、とても魅力的だ。
周りがハラハラさせられる様な直情さは、世渡りには非常にまずい。
政治家などにはとてもなれないタイプだ。
しかし裏表のないその、時に激情とも言える姿に熱き心が伝わって、こちらも心動かされるのです。
先生は実に阿呆で大馬鹿ものだ。
先急ぐことはなかったけど、あそこでThe Endだったからこそ、先生そのものだった。
荒削りでも人には熱き心が必要だ。

秋になるとつい読み起こしてみたくなる先生最期の言葉。「留魂録」。
心落ち着き、沸々として思いが伝わってきます。

留魂録