ブログ

伝えたいこと

過ぎた個人主義、保身、甘えの構造・・が蔓延し、精神の低級化が進んでいるように見受けられる昨今の世の中。

辛抱ができない
努力せずして世の中や他人の所為にする・・

あらゆる業界において、現場、そして採用する責任者の声としてよく耳にするところだ。
企業によっては、誠実さとやる気の、外国人雇用の目を向けているともいう。
使える使えない。
生きるに様々な問題を解決しようとするなら、それは先ず以て、誰に依存することなく、個人の精神というところに帰結する。

企業は、性別、パート、正社員に関係なく、定年を過ぎた人間でも、やる気のある人財をどんどん雇用していけばいい。

世の中がどうあれ、家庭の事情うがどうあれ、いつの時代においても、自分次第なのだ。

学歴、肩書き、地位名誉、物質的財の多寡、
例えば、SNSを営業のツールとして利用しようと、
詰まる所は本人で判断される。
天の下に生きるものに、その判断は全くの平等だ。

即ち、自己責任における堂々の個人を確立すればいい。
先ずは、此の世における唯一無二の我を愛し大切にし、
自らの善なる意志でその魂を牽引してやらねばならない。
誰がどう言おうと思おうと。
いかなる時においても対峙するのは我と天なり。
自己確立された精神を持ってこそ、他人を思いやることもできる。

便利なデジタル化と、ある面、無機質で使い捨てサイクルを持った白物家電のように、個人までが魅力を持たなくなった現代社会。


机上の勉学より大切なの情操部分だ。
情操は、懸念も心の痛みも、戦争の恐怖も、進化することとその側面に潜む破綻等、あらゆることに心及ぶだろう。
同時に、真の幸福や喜びも感じ取れるだろう。