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男女の縁

男女の縁、結婚というのは出逢うべきして出逢うものだと確信できます。

明らかに約束をして地上に降り立ちながら、スムースにいくものとそうでないものと、多くのパターンを持ちます。

これにはこのようなことが考えられるのではないでしょうか。
互いを認識しながらも、此の世に降り立てばその記憶を置いて来てしまうことになる。
しかしイメージとしては心の何処かに相手を存在させ続けているわけです。

人間の人生など、悠久の時においては瞬き程のもの。
例えば私はこう思うのです。

飛行する機体から互いを認識した二人が、パラシュートを背負い、描く人生を契りながら手を取り合って地上めがけ踏み出します。
しかし、上手く二人して目標点へ降り立つこともあるだろうし、降下の途中で手が離れてしまう場合もある。
又、機体を踏み出す一瞬の違いが互いを遠く引き離してしまう場合もあるでしょう。

降り立った時点で記憶を忘却しながら、人は、何となくでもイメージの人生を辿ることになるのです。

男女においても、その相手を見つける旅が始まるわけです。
互いに近くに直ぐさま見つけることもあるでしょうし、僅かな降下の違いが二人を遠く引き離す場合もあるでしょう。

心に決めた地上で人生目標を辿りながら、離れた相手も記憶の中に辿ることになります。

迷い道に勘違いの出遭いも経験すべき遭遇もありながら、ある日突然、その再会がやって来ることもあるでしょう。

互いにビビッとくる出逢いとは、そのような二人の再会にほかならない。

固く約束した再会に、長い時を掛ける場合もあります。
ほんの僅かなタイムラグが、限られた人生において二人を遠く引き離すこともあります。

この観点からすれば、天空を踏み出す一瞬の違いによって地上で再会した隔たりが歳の差を生んだとしても何ら不思議ではありません。


出逢うべくして出逢った二人であり、その再会は歓喜するほどのことでもあるでしょう。

タイムラグによって、二人で過ごす此の世での時が例え短くても、何ら不幸なことはない。
時を経ての再会は、誰よりも濃密で豊な時を過ごすことになるでしょう。

出逢いには時にタイムラグがある。

だから、我の中の微かな記憶を大切に、再会を決して自ら遮断してはならないのです。
素直な心を失くしてはならない。

あの時約束して天空を踏み出した相手は、今も何処かで貴方を探し続けているかもしれないのですから。