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エンディングノート(part5)

親なら、誰しも幸せなる子の将来を願わない者はいないでしょう。

兄弟姉妹が何時までも仲良く、必要な場合には互いに助け合って生きて欲しい・・
しかし、残念ながら世には数多くの不仲が存在しています。
そのような場面に遭う度、結局、肉親とはなんだろう?そう思ってしまうのです。

特に財産が絡んだ不幸とも言える話は実に多い。
必要以上のものを残すことは如何なものか。
とりわけ多くの不動産を遺すとなると厄介。
共有は避け、できるだけ換金してきれいに分配する方がいいでしょう。
頑張って築いたものなら、自分の褒美に使うのもいいでしょう。
あの世に持ってはいけない。
金や物に未練を残す人生であってはならない。

私は齢の離れた妹を早く亡くし、親の借金によって親戚の縁も全て無くした孤独な身。
私の妻は三人姉妹の次女で、姉妹は仲が良い。
そして、それぞれの連れ合いとの仲も良く、まるで私も入れて実の兄弟姉妹のように接してもらっています。
孤独もこれで帳尻が合った。
人生捨てたたものではない。

溢れんばかりの財産の中の不幸。
身軽な中の幸せ。

あなたは幸せの真実を理解しているでしょうか・・

「肉親とは」・・過去日記より

血を分けた家族の関係とは。

やはり、愛情も絆もとりわけ強いものになるのは間違いないこと。

子孫繁栄を願いながら、子に恵まれず、跡継ぎがいないので、今の代で血が断絶してしまう、等ということもあります。

血縁関係は、愛情とともに、その強い繋がり故に、憎しみもまた一際強いものになりかねない。

人間も動物も、血を分けた者へ働く同じ愛情は、人間の場合、人が霊止(ひと)たる故の感情によって、時に、愛情と憎悪の間を振り子の様に、行ったり来たりすることになるのです。

「我が子だから、親だから、兄妹だから、こうあって欲しいこうあるべきだ」・・
その想いは、また当然の感情の発露でもあります。

あれだけ兄弟仲が良かったものが、やがて、それぞれに結婚し家庭ができると、何故か肉親の縁が遠のいてしまう。
入り込む他人(配偶者)と築かれる新しい絆のなかで、それぞれ分派した他人を取り込んだ肉親同士が、いつまでも兄弟姉妹仲良く実に上手く付き合っていけるケースもあれば、全く往き来もしなくなるケースもあります。

此処に財産が絡めば、その人間関係は、もうぐちゃぐちゃの域。
正に相続は争続で、実に醜い場面は巷に多々存在しています。
私の職は、弁護士や税理士の範疇を越えて、この絡まったものを解決する、柔軟性を持った役目を担える立場にあって、多くを見て来ました。


いつぞやは、相談から不動産の処分、財産分配解決までの、最初から最後まで、三人の兄弟がついに一度も顔を合わせることもなく。
過分な財産など、個々の人生において弊害を生むものです。

で、やはり血を分けた肉親とは。

血の断絶などさして気にすることでもない。

遠く宇宙の彼方まで、何千何万何億と、果てしなく魂を紡ぎ輪廻転生しながら、肉親の縁というものは、小説や映画の中における配役のように、其処に、喜びも愛情も、憎しみも心の葛藤も合わせて、互いに生きるなかで起る経験の、深い修行の意味合いを持ちながら、必然的選ばれた関係ということなのでしょう。

ロングランの舞台を共にすれば、おのずと共演者は、身近なものとして、とりわけ強い愛と親近感も持つ設定となります。
そして特別の縁あった同士は、慈しみ合い、いつか互いに「上がり」の乾杯をして、その人生舞台を終えればいい。

此の世における家族とは、他人である配偶者が、血を分けた子や親以上に重要な絆で結ばれる様に、血縁云々を離れ、強い意味合いを持って関係者が選択した縁であり、大きく捉えれば、特別の共演者に過ぎないのです。

特別の深い縁あれば、いつか再び、夫婦や家族の役を担うかもしれません。

であれば、もはや、人生における日々の出来事や、出逢い別れというものは、肉親等という特別な枠を越えて、我に必然性をもって存在するということになるのです。
その観点から人生を振り返れば、あの時、この場面、数々必然的思い当たる節が、多々存在することに気づきます。

人はひとりでは生きていけない。
そう考えれば、我に今日降り注ぐ事象と関わる人を、一層大切に愛おしく想うのです。