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いじめ

小学生の頃、いじめられていた子をかばおうとしてボコボコにされたことがあります。

弱いものいじめには我慢がなりません。
大人になって、勤めた会社で、権力に擦り寄り保身ばかりの金魚の糞みたいのがいて、皆うんざりしていた。
ある日、朝礼が終わった直後、大勢の前でそいつに噛み付いて・・

またある時、部長の息子が同じ職場にいて、好き勝手していた。
自分の立場を考えれば、逆に身内ほど、周りと同じは勿論のこと、親は厳しさをもって接しなければならない。
で、余りに酷い、やりたい放題は目に余り、気が短かった私は、ある時、親の前でその子をぶん殴ったことがありました。
若気の至りとはいえ、これは只の暴力。
大反省している。

また、ある時ある会社で、経営者の方針に、社内は不満だらけで皆ぶつぶつ言っていた。
会社がある時期困難に陥った時、私は、私の給料を先に皆に回し、長い間、遅配を自ら申し出たことがあります。
しかし、ぶつぶつ言いながらも、同僚も皆同じ類だった。
私は、同僚に部下に言った。
「なんだかんだ言っても、ちゃんと給料をもらい、あれこれよくもしてもらってるではないか」
「そんなに、文句言うなら、あんた達が経営者になってみろ」
「毎月末、責任をもって社員に給料の用意ができるのか?」って。
同僚や部下にも社員としての義務と責任を言い、
私は、経営方針、社員に扱い方に問題があると社長にも進言した。
会社の体制をしっかりつくる為には、一年であろうと二年であろうと、給料の遅配など構わない。
妻には悪いが。

ある日、思い切り社長とバトルした時。
周りは、見てみぬ振りだった。
あれほど文句言っていた連中が、内心「よく代弁してくれた」と思いながら、誰も我が身可愛さで、知らぬ振りだ。

誰か一人でも、一緒に会社をよくしていこうという者がいたなら、私はその会社を辞めなかっただろう。

結局私は、辞めた。
そんなことが数々あり、七度の転職、八度目にやむなく独立したのだ。
つくづく組織は合わないと思った。

此の世に、ずるさ、見てみぬ振り、無責任な中立、当たり障りなく、お代官様、いじめ、強い自己利的保身・・良心をもって考えれば疑問に思う事は数々存在する。
しかし、その波に呑まれてはいけない。
自分の良心判断は自分の手の中にもっていなければならない。

で、おじさんは思うのです。
これまで数々、いじめ問題はありました。
教師も、校長も、教育委員会も、はたまた父兄にも多々責任はある。
しかし、多くを見てきながら、同級生が当人をかばったという話もでてこない。
同級生も、上級生も下級生も皆、傍観者ではなかったのか?

善なる良心がなぜ結集できない。
これでは、大人になっても、また傍観者と保身の輪にいることになるのだ。
我が身可愛さだけの、個人主義。
貴方達もまた今の大人になってしまうのだ。

不甲斐ない大人ばかりとしても、貴方達までが遠巻きにしていたらいけない。
皆で、「いじめられている友達をなんとかしよう」という気持ちになったら、おじさんは嬉しいな。

大人も子供も我が良心に問おう。