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人生舞台

人生はロングランの舞台に立つようなものです。

台本を渡され役回りを演じながら、人生舞台はあまりに長期に亘るので、舞台であることを忘れてしまいます。
舞台上では、端役は端役でその立ち位置からするとれっきとした主役。
誰もが精一杯の最高の舞台を目指さなければならないのに、つい、その役回りに立場に、投げやりに、そして放棄さえしてしまいます。夫婦、家族の役回りは、とりわけ親密性をもったものになります。

俯瞰的に見れば舞台を、日々続く中では平面的に現実として捉えて生きている。
同時に、予め知っていたはずの大まかなストーリーも忘れ、日々舞台における展開は、初経験となるのです。

自ら選択、あるいは抜擢された個人の舞台というものがどの様なものであるのか。
高速道路をスイスイ快適に走るものだったのか、いばら道をかき分け行くものなのか。
家族を主にしたものか、仕事を主にしたものか。
愛に生きる主人公だったのか傍若無人の役だったのか。

人生(舞台)の後半にやっと絡む共演者であったとして、それは既に配された事であったに過ぎない。
不思議など何ひとつない人生。

では、ハッピーエンドに終わる主人公は、
悪満々の主人公は、

俳優が舞台を終えれば真の我があるように、
我に気づき見失うことなく我を手元に置くことができるなら、
舞台上の現実的悪人も良心を復活させることができるでしょう。
善人は善人で、実のところをなお生きて行けばいいのです。

どの役回りも、精一杯に舞台を生き、今日思い通りいかなければ明日また精一杯の誠実さでこなすことです。

例え一瞬の通りがかりの人物でも、我を主にすれば、全ての関わに深く意味合いはあるのです。
端役として決して自らを放棄しないこと。
かけがえのない人生舞台における我という存在。
共演者は、登場しては去りながら、成り行きによっては突如ストーリーの書き換えもあるのがこの此の人生舞台。
その際においても、誰の所為でもなく我の舞台の在り方に因るものだと知っておこう。
さすれば、俄然、ひとつの無駄もない舞台なのだと、勇気も希望も見えてくることでしょう。

人間は、テレビや映画や小説における、善悪、物事の良し悪しは判りながら、実際は、黒やグレー、お代官様的狡猾さを平然と生き、恫喝も暴力も過ぎた自己利が蔓延しています。

しかしながら、やがてロングランの舞台が終了する時、親密な家族、隣人は別れを惜しみ、それぞれの立ち位置から見た共演者に有難うを。
拍手喝采のカーテンコールで終えるように。
人として、人生の王道を歩いていこう。

誰もが主役の人生舞台。
「あなたとまた家族でいたい」
「あなたとまた隣人でありたい」・・
そんな人生舞台に、まだ此れから登場するやもしれぬ共演者に期待しながら・・