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年輪

おじさんがもてようとして、若い男に競ったって勝てるはずがない。

おじさんには、そんな所で競わずとももてる領域がある。
 

それは人生経験というやつ。

 

間合い、心の懐具合ってやつで、若い人にはない魅力を放つことができるものだ。

 

此の様な事を作詞家の秋元康さんが言っていたと、何かの記事で目にしたことがあります。

 

若い人にないもの。
それは 人生経験の数、そして厚みかもしれない。
ただのおっさんおじさんに見えても、実の所、接すれば引き出しの多さと懐の深さに、えも言われぬ人としての飽きない魅力を感じることがあります。

 

此の所ばたばたと、名優と称される存在感のある役者が逝ってしまい、此の先、果たして良い映画は作れるのだろうかと危惧してしまいます。
物に溢れ利便性に富んだ現代社会においては、人は、平均的で見るからに画一的、感動や多様な経験から果てしなく遠ざかっていっているようにも思えます。

 

抑揚と厚みを持たないまま人生を過ぎていけば、それこそ、人皆老いていく中で、何ら奥行き感を持たないただのおっさん、おじさんになって、到底、年齢のリング上に勝るものもない。

 

これは男でも女でも同じことが言えるでしょう。

 

顔が売り物の女優やセレブでもない限り、主婦は日々美容にかまけているわけにはいきません。
糠味噌に手を突っ込み、家族の為に料理洗濯に追われ、なお働いている。
男なんぞは、「仕事に疲れた」と言って家に帰れば食事の支度がされそれを食べるだけでいい。
時には外で一杯ひっかけ気晴らしもできます。
まあ、昨今の主婦は昼間から結構外でお茶しながらそれなりに気晴らしできているようですが。

 

女性も、真に人生を重ねてきた先に刻まれた顔の皺を、料理も掃除も苦手で、日々をきれい綺麗に集中しながらも薄っぺらに感じるものより余程美しいと思うのです。

 

内面外見併せ持てば勿論誰しも良いに決まっている。しかし、内面の魅力は表面を超える。
男も女も、夫も妻も、如何に、誠実で優しい心美女、心美男であるべきか。

 

いずれにしても、人間は皆年取っていく。
かけがえのない人生をいかに誠実に生きながら膨らみをもたせられるかは、やがて立ち止まり振り返る段になって分かるものがあるということ。