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気負わないで負けないで

年老いた親を手元において世話をしている家族は多々あります。

実の親と義理の親と、気遣いの違いと大変もあるでしょう。
認知症や病人を抱えた場合、見守る家族が複数人の場合もあれば、唯一人で全ての負担を背負ってしまわなければならない事例も多い。その大変さや心情は、それぞれの状況に差異もあるなかで、それらは到底想像に難く、関わる当事者でしか分かり得ぬ部分が多く存在するでしょう。


数々の葛藤があるなかで、実の親であれ義理の親であれ、簡単に当然だ言う言葉を越して、面倒を見ている人を立派だと思います。

今の世の中、子供が何人いても面倒をたらい回ししている事もあります。

そんな中、四六時中居を共にし、始終顔を突き合わし介護の世話をしていれば、例え親であろうと、時に、「うっとうしさ」や「煩わしさ」を感じることもあるでしょう。
仕事もしながらであれば尚更の事。

人によっては、その「うっとうしさ」「煩わしさ」の心が持ち上がる、我が心の非情さに思い悩むこともあるかもしれません。
しかし、そんなに自分の心を責める必要もない。
そう思うのが自然な人間の心。
いくら人一倍情の通った肉親や想う人だとして、年月は悲しみも心も徐々に忘却の彼方に追いやる。
それが人間。

自分が全てしなければならないと考えることも、思い詰めることもありません。
デイサービス等も大いに利用し、僅かでも自分の時間と心を開放させたらいいのです。
時に、「私は冷たいのか・・」
そう思う時点で、すでに貴方は善の心の中にいるのですから。

状況に応じて、介護施設に入れることも可。
大変ななか、心身を疲弊させるより、プロに任せて時折施設に通ってあげる。
情と愛は、本来の良いほうに維持される。

今の世においては、狭い環境の中、子供と同居するということも考えない方がよいかもしれません。
そもそも生活環境は違うわけですから。
その中に入ろうとすれば、それなりの覚悟も必要かと。

肉親と言えども、互いに窮屈さを避けた間合いのなかで生きるのがベストかと。

いずれにしても親子でも自立の精神は必要。

それぞれ生きる環境は違います。
一人で大変さを背負っている人に言いたい。
負けないで、気負わないで、
時に心を割り切っても、決して自分を見失わないで。